写真から振り返る2014年

JUGEMテーマ:清水エスパルス

2014年に記事で使用した写真だけの記事です。

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記事から振り返る2014年(9月〜12月)

JUGEMテーマ:清水エスパルス







「記事から振り返る」と掲げながらも、振り返ることのできる記事はここで途絶えています。

この時期の心境は、前々回の記事で書いたとおりです。

1試合1試合を振り返る余裕はなく、ただただ終わりの見えないマラソンを走り続けているような、そんな感覚でした。


8月9日の徳島戦で新体制初勝利を挙げるものの、その後は再び長いトンネルへ。

10月5日のC大阪戦で勝利するまで、実に7試合未勝利。

守備の立て直しを第一の課題に挙げた大榎監督ですが、皮肉にも失点数は8月以降に大幅に増加。

未勝利だった7試合では、20もの失点を許してしまいました。


守備陣では、キャラ不在が大きく響きました。

清水で十分な経験のあるCBは平岡のみ。

それまでCBとしてカバーしてくれていた浩太も、ピッチに立つコンディションではありませんでした。

ヤコヴィッチが出場停止になると、平岡、ブエノ、弦太で3バックを組むこともあったし、浦和戦では六平のCBへのコンバート起用もありました。

継続するべき基盤を失い、戦術もメンバーも再構成することを余儀なくされました。

GKも含めて若い守備陣にとって、一度コントロールを失ったものを取り戻すのは難しかったのかもしれません。

ラインを上げるのか、下げるのか、4バックなのか、3バックなのか。

試行錯誤は続きました。


攻撃陣では、元紀のゴールが完全にストップ。

結局、彼の今季最後のゴールは、8月30日の鳥栖戦となりました。

「10番を言い訳にしたくなかった」と後に語っていた彼ですが、残留争いというプレッシャーの中で、なかなか思うようなプレーができなかったのかもしれません。

34試合全てに先発しながらも、ゴール数は6に止まり、後半戦のみの14試合出場だった昨季の7ゴールを下回る成績となりました。

ただ、6アシストという数字はチーム最多。

チームに大きく貢献してくれたことに違いはありません。


チームとしては、これまでの両WGがワイドに張る形からの脱却をめざしていたように見えました。

「人もボールも動くサッカー」と銘打ち、選手たちには"自由"が与えられました。

石毛、六平、拓也らがシュートを打つシーンが増えたことは、その象徴的な例だといえます。

劇的な勝利を挙げた川崎F戦では、六平がプロ初ゴール。

さらには、吉田が今季初ゴール。

完成には程遠いながらも、シュートへの意識が増した攻撃は、今後が楽しみに思えました。


攻撃陣で語らないわけにはいかないのが、村田の存在。

大榎体制で勝利した4試合のうち、3試合でゴールを挙げています。

徳島戦では、新体制初ゴールとクラブ通算ホーム600ゴールとなる記念のゴール。

古巣相手となったC大阪戦では、試合終了間際にダメ押しとなる3点目。

そして、川崎F戦のゴール。

あの歓喜の瞬間は、きっと多くのサポーターの脳裏に焼き付いているはずです。

おそらくクラブの歴史に残るゴールとなるでしょう。

残る新潟戦においても、こちらも試合終了間際の90分に、ノヴァコヴィッチの決勝ゴールをアシストしています。

出場時間462分間で3ゴール2アシストは、驚異的な数字です。

そして、彼がゴールに絡んだ5試合は全て勝利。(昨季も4試合全勝)

なかなか確固たる攻撃の形を見出せないチームの中で、彼のプレーは輝いていたし、チームとしてもそれをうまく生かす戦い方ができていたように思います。



天皇杯準決勝は記事にしていません。

残留争いを戦いながらも、タイトル獲得の可能性を残していた天皇杯。

しかし、準決勝直前の名古屋戦に勝利できなかったことで、残る2試合に全てを注ぎ込む必要が出ました。

ほぼフルメンバーのG大阪に対して、リーグ戦から9人を入れ替えた清水。

石毛、水谷、金子が中盤でトライアングルを形成し、CFは加賀美。

両サイドには、善朗と村田。

早々に2失点を許すも、執念で追い付いたその2得点には、彼らが巧みに絡んでいました。

この日、雨降る味スタのピッチに立っていた彼らの姿に、未来の我がクラブの姿を夢見ました。



長かった戦いの終わり。

そこにあったのは、安堵。

今季唯一のスコアレスドローに持ち込んだこの試合は、理想のサッカーには程遠いものでしたが、そこから掴んだものは、とてもとても大きなものでした。

監督交代から4か月。

選手やスタッフを交えた"決起集会"。

メンタルトレーニングの導入。

社員を含めたクラブ関係者全てで撮影した写真。

オモテに見えないところで、他にもさまざまなやりとりがあったでしょう。

サポーターも、数えきれないほどになった大段幕への寄せ書きを行いました。

そのために、県内を走り回ってくれた方々がいました。

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"異様"ともいえる雰囲気だった最終節のバス待ち。

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残留決定に至るまでの戦いは、全ての人が同じ方向を向いた時間でした。

残留争いなど、しないに越したことがありません。

でも、その苦しみの中で、大切なこともたくさん見つけました。

普段はスタジアムに足を運ばないような人たちも、清水エスパルスの行方を案じてくれました。

"サッカー王国"という言葉が幾度も取り上げられましたが、王国かどうかは別にして、清水エスパルスというクラブがこの街には根付いているのだということを思いました。

そして、当たり前のようにあったJ1クラブの存在が、実にかけがえのないものなのだということを感じることができました。

ますます、清水エスパルスのことが好きになったし、そのことを、これまで以上に多くの仲間たちと共有することができました。


「ありがとう」

この言葉に尽きます。


2014年に更新した記事は119件。

記事数は大幅に減りました。

ブログとしては"瀕死"の状態かもしれません…。

一方で、参戦数は公式戦(PSM含む)34試合。

昨季の22試合を大きく上回りました。

子どもを連れてスタジアムに行くことが増え、ゴール裏で声を出してはいるものの、観戦スタンスを若干変えざるを得なくなってきています。

試合を振り返ることも難しくなってきました。

2015年は、自分自身にも大きな環境の変化があるので、このブログがどうなるのか、自分でもまだわからないところがあります。


とにかく、今ある清水エスパルスに対して喜びを噛み締めながら、新年を迎えようと思います。


コメントをくださったみなさん、ありがとうございました。

返信ままならず、申し訳ありません。

コメントが、大きなモチベーションになっています。

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この後、写真だけの記事をアップして、2014年最後の記事としたいと思います。

2015年もよろしくお願いします。






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記事から振り返る2014年(5月〜8月)

JUGEMテーマ:清水エスパルス 






チームというのは、こうも簡単に崩れていくのか。

リーグ戦5連勝、公式戦6連勝をめざして挑んだ鹿島戦。

この時点で清水の順位は6位でしたが、駿が抜けた中で、当時首位だった相手に対して厳しい戦いになることは予想できました。

一度は追いつくものの、最後は途中出場のルイスアルベルトに決められて敗戦。

でも、決して惨敗ではありませんでした。

しかし、中3日で挑んだ鳥栖戦は、相手の見事なゴールに沈みました。

内容でも完敗。

さらに中2日で挑んだ新潟戦では、試合終了間際に平岡のゴールで追いつくものの、その直後に痛恨の失点。

連勝が止まった2週間後には、もう4月のチームの姿はありませんでした。

広島戦も、神戸戦も、絶望的な内容ではありませんでしたが、それでも勝てないことから生まれる負のスパイラルが、チームをむしばんでいきました。

初めは足首程度までだったものが、もがけばもがくほどにズブズブと深みにはまっていき、気が付けば腰くらいまでが泥沼の中に沈んでいたのかもしれません。






3月から戦ってきたカップ戦は、3連勝というこれ以上ないスタートを切りました。

リーグ戦が苦しい中でも、3試合目となったF東京戦では勝利を収めました。

残りの3試合のうち、1試合でも勝利すれば、決勝トーナメント進出は確実でした。

それでも、チームがはまり込んだ泥沼は、思いのほか深いものだったようです。

リーグ戦で勝てない時期も、失点数は少ないままでしたが、リーグ戦中断後のカップ戦4試合で9失点。

課題を修正し、持ち直すどころか、課題が増幅していった。

そんな状態でした。




結果論的にいえば、そういった不安だらけの状態のままで中断期間に突入したことが、シーズン終盤の修羅場を生み出すことにつながりました。

中断時点での順位は10位。

得失点差は、意外にも±0。

14試合で18失点は、決して少ない数字ではありませんが、許容範囲だと思います。

この成績だけを切り取れば、監督交代は絶対ではなかったのかもしれません。

しかし、おそらくクラブ内では、この時に既に"Family"としての体をなしていなかったと思われます。

管理志向が強かったゴトビ氏。

内部では、いろいろな軋轢もあったと聞きます。

でも、この体制で3年半をやってきたわけで、急にそれが問題として挙がってきたわけではないはずです。

いろいろなことがうまくいかなくなった時に、その問題に目が向けられたのだろうと思います。

いずれにしても、さまざまなものが"限界"であったのだと思います。





おそらく、2014シーズンで最も大きなブーイングが起こったのは、川崎F戦の後ではないでしょうか。

川崎Fを相手に、なす術なかった試合でした。

不安を抱いたままに中断期間に突入し、そこからの再生を期待した試合でした。

サポーターからすれば、その期待を裏切られたような、そんな試合だったといえます。

G大阪戦は、今季最低の試合だったともいわれています。

当時はまだ清水よりも一つ下の順位にいたG大阪に、シュート18本を浴びせられ、4失点の完敗。

柏戦は、そういった中で"異色"の試合でした。

自分の中では、内容としては今季最高の試合だったと思います。

まさか、この直後に…。



当時に思っていたことは、この記事に全て書いてあります。

タイミングとしては最悪の解任でした。

チーム内の状態として限界があったなら、中断期間前に下すべき判断でした。

一年前にも苦しい時期はありましたが、村田、ラドンチッチ、元紀、拓也といった補強があり、後半はチームを立て直すことに成功しました。

予算的な問題があるにせよ、大きな問題を抱えた中で、実質的に"何もしないまま"に中断期間を過ごしてしまったこと。

それに、キャラや竹内の離脱が重なり、事態はますます深刻になっていったと思われます。

今となっては、どうこう言っても仕方がないのですが、シーズン中、しかも連戦中の監督交代がどれだけのリスクをもっているのか、こうやって身をもって知るしかなかったのかもしれません。



この記事の中で、各クラブの中断明け4試合の戦績について触れています。

好調なクラブとして挙げたのは、浦和、川崎F、F東京、G大阪。

F東京は終盤に失速しましたが、残りの3チームの最終順位は語るもがなだと思います。

不調なクラブとして挙げたのは、大宮、甲府、C大阪、名古屋、仙台、清水、新潟、神戸。

これに徳島を加えた9クラブが、最終的な10位から18位を占めています。

これらクラブが、"仲良く"足踏みをしてくれたおかげで、清水が最終節で残留を決めることができたといっていいと思います。

中断明けが明暗をはっきりと分けた、そんなシーズンでした。

言い換えれば、やはり中断明けに躓いたこと、チームとしての"どん底"がその時期であったことが、非常に痛かったということです。



大榎監督には、大きな負担を負わせることになってしまいました。

コーチの経験はあるとはいえ、J1での指揮は初めて。

いくら育成世代での実績があっても、勝手が違うことが多かっただろうと想像できます。

この頃、「良い雰囲気」をやたらに強調する風を感じました。

雰囲気が良いのはいいのだけど、イコール勝てるのとは違う…と思っていました。

新しい体制へのサポートはしたかったし、ネガティブなことを言うつもりもありませんでしたが、あまりにも無理のある中での新体制スタートでした。

それを、「良い雰囲気」という表現に置き換えるのには違和感がありました。

三保で感じた不安を記事の中に書きましたが、"お叱り"もいただきました。

でも、あの時期にあった"迷い"は、やはりシーズン終盤まで影響を与えていたように思います。


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8月20日には、ゴトビ氏の離日がありました。

現地で最後の別れをしてきましたが、記事更新は控えようと思わせるような、そんな空気が当時は漂っていました。



大榎体制の初戦は、F東京相手に完敗。

翌週の徳島戦で、記念すべき初勝利を挙げました。

新体制での初勝利だけではなく、ホーム200勝と600ゴールという記念すべき試合になりました。

ここから、新しい歴史が始まる。

そういう、何か運命的なものを感じました。


(続く)






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記事から振り返る2014年(1月〜4月)

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「残留争い」

2014シーズンのイメージは、この言葉に全て覆い尽くされてしまったように感じます。

シーズンの終盤は、本当に苦しかったし、ただひたすらに目の前の試合に向かうばかりでした。

おそらく、冷静にチーム状況を見つめる心のゆとりはなかったし、10月以降に記事更新が途絶えたのも、仕事の忙しさという理由の裏には、そういった要素もあったように自分自身思います。

勝っても、負けても、引き分けても、記事を更新するエネルギーがありませんでした。

何を書こうとも、それがネガティブな方向に進むのではないかという疑心に駆られ、果たしてそれを記事にすることに意味があるのかと問いかけていました。

自分自身のための「備忘録」と位置付けて置きながら、あの状況で、自分の書いたものが、どこかへ一人歩きしてしまうのではないかという怖さも感じていました。

今思えば、過剰な思考だったのかもしれません。

でも、それほどに、あの時期は苦しかったということだと思います。


さて、そうは書きましたが、2014シーズンを「残留争い」という言葉だけで済ませることはできないと思っています。

12か月のうち、「残留争い」という表現が付きまとったのは、おそらく9月以降。

大榎体制で戦った時期よりもゴトビ体制で戦った時期の方が長かったし、2度行われたキャンプはいずれもゴトビ体制でのものでした。

シーズン開幕前に、「残留争い」を意識していたかと言われれば、そういった危機感をもっていたサポーターもいたとは思いますが、それよりも、少なくとも自分自身は体制4年目に対する期待感の方が大きかったと記憶しています。


「なぜこんなシーズンになったのか」

その答えを出すのは簡単ではないと思いますし、素人サポーターの立場で語れることはごくわずかだと思います。

それでも、きっと1年後に読み返すことになるであろうこの記事を、まさに「備忘録」としてまとめておきたいと思います。


恒例として、昨季の記事を読み返しました。




過去の記事を読む時間は、自分の中で大切にしています。

あの時に何を考えていたのか、チームはどうであったのか。

いろいろと思い出すことがあります。

今と全く同じものもあれば、なんて浅はかだったんだろうと思うようなものも。

その全てが、当時の自分の姿を語っています。


そして、この記事。


坂の上に向かおうとしたチームは、その半ばにして、道を変え、そして崖の寸前まで転がり堕ちました。

記事の中では、ゴトビ体制がシーズン終了まで継続しない可能性についても触れています。

「成績という部分で今の体制での限界が見えた時」…。

必ずしも成績が原因だったとは言えない解任だっただけに、当時の自分には見えていないものが多かったのだと思いました。

そして、「残留争い」などということは、考えてもいなかったと。



清水エスパルスと直接の関係はないですが、今でも継続的にアクセスをいただいている記事です。

このメンバーのプレーが、入場料なしで見られる。

今考えても、夢のような時間でした。




高卒組が高木和、金子。

移籍加入組が相澤、善朗、ノヴァコヴィッチ、ヤコヴィッチ。

レンタル復帰組が、柏瀬、樋口、駿。

いわゆる"大物"補強と呼べるのはノヴァコヴィッチくらいかもしれませんが、ヤコヴィッチの安定感はチームにとって大きな力になったし、何より駿の活躍は、他のレンタル組への刺激にもなったと思います。

全体的には、大きな入れ替わりのなかったオフシーズンでした。



「継続」がキーワードだったように思います。

オフ明けすぐに行われた実戦練習。

3ボランチに挑んだ一年前とは、時間の使い方が明らかに違うものでした。

戦術的な練り直しはあまり行わず、早い段階から実戦を意識した練習が行われました。

メンバーの入れ替わりが少なかったことと併せて、昨季までの戦い方の継続であるということの表れでした。




このブログで「ツインタワー」という言葉を初めて用いたのは、東京Vとの練習試合の記事。

この頃は、まさかあそこまでの破壊力を見せるとは思っていませんでした。

善朗が思いのほかフィットしていなかったことが、駿の出場機会を増やした一つの要因でした。

駿とノヴァコヴィッチのコンビは、昨季終盤に翔とラドンチッチで組まれたコンビを想起させるものでした。

駿は、この時期の練習試合で着実に結果を残し、スタメンの座を掴みました。

「継続」するはずの戦い方に微妙な変化が生まれたことは、、ゴトビ氏にとっても嬉しい想定外だったはず。

ただ、皮肉にもその想定外に全て乗っかってしまったことが、後々の苦戦につながったようにも思います。



さまざまに条件が異なる中で、結果からシーズンを展望することはやはり難しいと思いました。

特に、川崎FとのPSMは、静岡を除く全国的な大雪により、相手がほぼ全てのメンバーをサブ組にしてきたという、何とももどかしいものでした。

ただ、この試合で2ゴールを挙げたノヴァコヴィッチは、それまでに1ゴールだったという不安を振り払うに十分な質の高さを見せてくれましたし、駿とのコンビに大きな可能性を感じることもできました。



7年ぶりの開幕戦勝利。

しかも、苦手なアウェーで、一度はリードを許してからの逆転。

今季は何かが違う。

そう思わせてくれる試合でした。

しかし、その後の苦戦が、それが思い違いであったことを教えてくれました。






「簡単な失点」があまりにも多いと感じました。

そして、それはシーズン通しての課題にもなりました。

横浜FM戦では、あっさりと斎藤に裏を取られて失点。

フォルラン旋風に沸いていた長居でも、元紀のPK以外に見せ場を作ることはできませんでした。



4戦未勝利。

その中の1戦。

浦和との無観客試合。

静まり返った埼スタのピッチに、選手や監督、スタッフの声だけが響きわたる。

駿の先制ゴールに湧き上がるのもまた、彼らのみ。

実に虚しい試合であったし、二度とあってはならない試合でした。

サッカーとは何なのか、サポーターとは何なのか。

それを突き付けられた試合であったし、この試合で選手たちのチカラになれなかったことは、今でも悔やまれます。

そして、こういった試合が「試練」だなどという戯言は、決して口にしてはいけないと思います。

それが、チェアマンという立場であれば、なおさら。






4月に入り、風は一気に味方します。

G大阪とのカップ戦を加えれば、4月は5試合を戦って全て完封勝利を飾ったことになります。

その原動力は、おそらく満場一致で駿。

3月19日の仙台とのカップ戦に始まって、公式戦は6試合5試合連続ゴール。

その記録が途切れた徳島戦で、彼の運命もチームの運命も左右するような大きなケガをしてしまいました。(訂正:前節の大宮戦でノーゴールでした)

あの、相手選手と競り合った、あのジャンプさえなければ…。

おそらく、駿自身がそれを一番考えたのだろうと思います。

でも、たくましく前を向いてリハビリに励む姿を、TVや三保で目にするたびに、勇気をもらいました。


対戦相手を見れば、いずれも最終的に残留争いを戦ったライバルばかり。

それでも、だからこそ、この4戦での勝利が結果的に大きな意味をもっていました。

見方を変えれば、この時期にそれに甘んじたことで、その後の泥沼にはまってしまったといえるのかもしれません。


(続く)






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最幸の男 〜 村田和哉

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何か一つのプレーがとか、誰か一人の選手でとか、今季の残留はそういった類のものではないと思っています。

一つ一つの、一人一人の、それぞれの想いが積み重なって、最終節のあの瞬間を迎えたのだと。

それでも、自分の中で、あのゴールを抜きに今季を振り返ることはできません。

多くのサポーターが、そうだろうと思います。


アウェー川崎F戦の、あの決勝ゴール。

「残留への想い」だとか「もっている男」だとか、そういう次元を超えた、特別な瞬間でした。

今季、唯一の逆転勝利であり、それも苦手としてきた等々力での出来事でした。

最後の最後まで苦しかったシーズンで、脳裏にはグレーがかった光景が幾つも浮かんできます。

そんな中で、ただ一つ、鮮明なカラー映像が焼き付いているのが、あの瞬間です。

神々しい瞬間でした。


ゴールを決めた村田が、真っ直ぐにゴール裏に駆け寄ってきて…。

そこから先は…興奮しすぎてよく覚えていません。

ただ、ただ、「ありがとう」という言葉が、脳内をリピートしていました。


ピッチに立つのは、そのほとんどが試合終盤で、与えられるチャンスの数もわずか。

彼がスタメンでない理由は、一つではないと思います。

監督から見れば、足りないところがあるのだろうし、チーム事情もあるでしょう。

今季の彼は、"スーパーサブ"として特別な存在でした。

彼の持ち味を、最も発揮できる形だったのかもしれません。

でも、そこからのさらなる成長を見たいし、彼がスタメンを勝ち取った時に、チーム内で最も代表に近くなるのは彼なのかもしれないと思っています。

村田和哉の"ブレイク"は、2014年ではなく、2015年だと。


ユース上がりでも、地元出身でもありません。

清水に加入したのは、ほんの1年半前。

でも、それを感じさせないし、大事なのはそこではないということを教えてくれる選手です。

彼が、ピッチ外でどれだけチームのために時間を割いているかは、彼のブログやツイッターを覗けば一目瞭然です。

そして、それ以外にも、伝え聞く話は絶えません。

ファンサゾーンでの一人一人への対応も、実に丁寧でした。


全ての選手に、彼のような言動を求めることはできません。

「プロサッカー選手はこうあるべきだ」という範疇を超えています。

それを、まるで当たり前かのようにやってのける彼には、本当に頭が上がりません。


いろいろな巡り合わせがあって、彼が清水に来たのは、本当に偶然。

その偶然にも、大きな運命を感じるし、彼のいない清水エスパルスは想像できません。


この先も、ずっと清水に居てほしい。

でも、それでサッカー人生を終える選手でもないだろうとも思います。

彼の無限大の笑顔が、より多くのサッカーファンを"最幸"にしてくれるのなら、彼の高い志を止めることはできないだろうと。


これだけ存在感のある彼ですが、このブログで記事にしたのは、これまで1回のみ。

あまりにも真っ直ぐ過ぎる彼の姿勢に、うまく記事にすることができずにいました。



昨年9月に書いた記事ですが、彼に対する想いは今も一寸も変わっていません。

そして、強くなっています。

それが、全てを表しているのかなと思います。


サッカーとは何か。

この難解な問いに対して、明確に答えを示してくれているのが、村田和哉です。

人と人との繋がり。

人がいるから、サッカーがある。

選手も、スタッフも、サポーターも、そしてその家族も。

彼自身が、清水に来るずっと前から、人との繋がりを大切に大切にしていて、だから彼のプレーには魅力があって。

プレーの一つ一つ、言葉の一つ一つから、彼の人生がにじみ出ていて。


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「この選手と一緒にタイトルを獲りたい」

より強くなったこの想い。

来季は、"残留を決めたゴール"じゃなくて、"優勝を決めたゴール"を。


もしも、まだ読んでない方がいたら…全ての記事を読まれることをおススメします。

人生最幸』(村田和哉公式ブログ)







高木俊幸として輝け』(2014/12/13)


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