記事から振り返る2011年(10月〜12月)

JUGEMテーマ:清水エスパルス

清水エスパルスのあとに残った、唯一のお楽しみ。

静岡県代表の清水商業が、苦戦ながらも初戦を突破しました。

「ホイッスル」でも紹介されていた遠藤くんが決めてくれたようですね。

次戦は年が明けて2日。

頂点まで登りつめてほしいです。




「今季最高のゲームだった。」

試合直後にそう感じたこの一戦は、今シーズンが終わっても、それを上回る試合はありませんでした。

各選手がシーズンを振り返る中でも、この試合をベストゲームに挙げる選手が多いように感じます。

確かに、スコア2-0という以上に、シュート数も23-4、CKも6-1。

中盤では小野とフレディが躍動し、元紀とアレックスが素晴らしいゴールを決めました。

優勝争いを演じていた名古屋を相手にほとんど攻撃の機会を与えず、終始圧倒した試合内容でした。

「この試合で得た手応えが、チームにとっての財産となるはず」

そう確信するほどの試合でした。







ところが、その後は甲府戦で3-0の勝利を収めたものの、それを含めても1勝2分3敗。

名古屋戦がその後のチームに良い影響を与えたとは、少なくとも戦績からは言えません。

名古屋戦では、不思議なくらいに相手のプレッシャーがなく、清水の選手が好きなようにパスを回せる状態にありました。

それに該当しないその他のチームに対して、清水が苦しい試合を迫られたのは、当然だったのかもしれません。

そこには、単に小野とフレディが戦線離脱したことが原因だったとは片付けられないものがあったと思います。

名古屋戦の幻影を拭い去ることができなかったことが、その後のチームを苦しくさせたと考えてもいいと思います。

手応えを自分たちの力に変えることができなかった。

それは、まだまだ清水エスパルスというチームが未熟であったということを認めざるを得ないことを示しています。

そして、幻の先制ゴールがあった鹿島戦以外の5試合全てにおいて先制点を挙げているにもかかわらず、この戦績であったこともまた、チームの抱える大きな課題を示しています。

ただ、見方を変えれば、先制点を取ることができているとも言えます。

先制点を取ったチームが圧倒的に有利になるということは明白です。

先制されるよりは先制した方がいい。

ならば、ある段階まではチームとしての形ができてきたとも言えるでしょう。

先制してからの戦い方については、ゴトビ監督も今後の大きな課題として挙げています。

先制した後も攻撃的に2点目、3点目を取りにいくサッカーを目指していると公言しました。

今季の終盤の戦い方が、ゴトビ監督の目指すものではなかったということです。

それを完成させるために、ゴトビ監督がいかに選手に伝えていくのか、そして選手がいかに吸収していくのか、来季の注目点の一つであることは間違いありません。



天皇杯は、3年連続のベスト4ならずして敗退。

霞みながらも見えていたACLへの道は消え去りました。

ノックアウト方式の激闘の中、今できるサッカーとできないサッカーを確認することができたという意味では、ここまで勝ち残った価値があったのかもしれません。


永井雄一郎に杯を』(2011/11/10)






はっきりと答えが出たものも、未だ見えてこないものも。

来季ほどではないにしろ、やはりこういったことを避けて通ることができないのがサッカーというもの。

全てにおいて言えることは、選手にとって悔いのない決断をしてほしいということ。

そこに、清水エスパルスに対する愛情が伴うのならば、それに越したことはありませんが。

宏介のメッセージは、年内に出すと言っていた答えが出たというサインでしょうか。

2011年』(太田宏介公式ブログ)


もし、客観的に、かつシビアな視点で今季の清水を振り返るならば、スポニチの総括記事が全てを物語っているでしょう。





さて、これで2011年のおいらの記事も締めとなります。

おかげさまで、年間を通してだいたい1分間に1回のペースでアクセスをいただきました。

たくさんの素晴らしい清水系ブロガーさんがいらっしゃる中、なるべく影響を受けないように、自分が思ったままを書いてきたつもりです。

故に、的外れなことも多々あったと思います。

人に何かを伝えようということではなく、自分自身が清水エスパルスをリアルタイムでどうとらえていたのかを書き残したいという想いで書いていますので、その辺はご勘弁を。

こんな風にとらえているヤツもいるんだなあ、なんて笑いながら、2012年も足を運んでくだされば何よりです。

そして、おこがましいことかもしれませんが、おいらのブログを通して、アウスタの観客動員数を1名でも2名でもプラスにできれば幸いです。


今年1年、このブログに足を運んでくださった皆様に感謝いたします。

また、様々なコメントをくださった方々、とても励みになりました。

はんみさん、ココさん、MR.Tさん、東京次郎長さん、いとぱるす001さん、ユタカさん、藤パルさん、川根茶さん、いちごだいふくさん、へるかんぷさん、なおこっとさん、真さん、なりきさん、ファンシーさん、草薙からさん、ゆっちゃんさん、奈々氏さん、ヒロデポさん、Palauさん、選手の前に・・・さん、オレンジ戦士さん、nihonndaira11さん、KTさん、んもえラドさん、青豆さん、とおりすがりさん、おばさんさん、ほんとにそうですねさん、にわかサポさん、Kenさん、ゆうすけさん、通りすがり・・・さん、たかさんさん、竜双山さん、宮城のベガサポさん、タカさん、セルジオ苺さん、周揄さん、kyuさん、Sariさん、shunさん、No.9さん、オーチャンさん、ポレポレさん、Lilyblankyさん、鈴木さん、清水の下駄さん、大阪さん、プルメリアさん、鶴さん、富士歓喜さん、たーきーさん、あやさん、清水サポさん、Ojさん、スズキさん、Noriさん、たーさん、mr.774さん (投稿順)

2012年もよろしくお願いします。






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記事から振り返る2011年(7月〜9月)

JUGEMテーマ:清水エスパルス

「2011エスパルスTV」、笑わせてもらいました。

笑うだけではなく、チームとしての"絆"も感じた番組でした。

早く来季が待ち遠しい、そう思いました。





今季の清水を振り返るにあたって、絶対に忘れられないのが、この3試合。

震災による日程変更により、暑さがキツイこの時期にアウェーでの3連戦を強いられることになりました。

それが影響したことは間違いないでしょうけど、敗因は決してそれだけではなかったと思います。





大宮戦の敗戦以降、チームは結束し、順調に勝ち点を積み上げていきました。

それは、選手一人一人が危機感をもち、高い意識で試合に臨めていたからこその結果でした。

敗戦すれすれの試合を、何とかモノにしたり、しぶとく守り抜いて勝ち点1を勝ち取ったり。

選手個々の能力やチームとしての成熟度ではない部分によって、チームは何とか好調を維持していました。

そこに、生まれた小さな綻び。

アウェー3連戦というイレギュラーな状況が重なり、チームは泥沼に嵌っていきました。

サポーターも苦しみましたが、一番苦しかったのは選手たちでしょう。

得失点差-12が、決して小さいものだとは思いませんが、それでも、ごまかしごまかしやってきたいろいろな課題が一気に噴き出たのがこの時期だったことは、不幸中の幸いだったのかもしれません。






ホーム大宮戦を3-0で勝利し、トンネルを地力で抜け出したものの、今季の清水はこの選手なくしてあり得なかったと思います。

救世主かのごとく現れたのはカルフィン・ヨンアピン。

専門である左SBではなく、アンカーとしてチームをバックアップ。

これまでの清水の懸案事項だったアンカーというポジションは、この後ほとんどの試合において彼が務めることになりました。

それでも、判定基準のほか、Jリーグのプレースタイルに慣れるには、時間が必要でした。

今季の彼は、まだ試運転。

彼が本領を発揮するのは、来季であると確信しています。




横浜FMとの試合の最中に駆け巡った、フレドリック・ユングベリ加入のニュース。

今季の清水の大ニュースの一つといって間違いないでしょう。

10月の名古屋戦では、小野との共演によってその片鱗を見ることができましたが、本当に期待しているものはまだ見せてもらってはいないような気がします。

オフの間のコンディション調整に、全力を注いでもらいたいと思います。



え…。』(2011/9/6)


山本海人の重圧』(2011/9/27)

フレディ加入のニュースが吹き飛ぶような衝撃でした。

休養が決まった矢先の訃報。

そんな中、ゴールを守り続けた海人。

その重圧は他人にはわからないほどのものだったはずです。

静岡ダービーでは敗れてしまいましたが、その後はリーグ戦6戦無敗。

自分たちの戦い方になかなか確証がもてない中、眞田さんの力によって、チームが一歩前進できたように思います。


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 清水MF小野伸二(32)が29日、年内最後の練習を行った。すでにチームの全体練習は、24日の天皇杯C大阪戦敗退をもって終了しているが「最後に動きにきた」と、1人室内で約1時間半のメニューをこなし汗を流した。C大阪戦では負傷したMFユングベリに代わり、左膝のケガを抱えながら急きょ2カ月ぶりに復帰し70分以上プレー。「リバウンドは多少あったけどもう大丈夫です」と語った。

 来季については、ここまで数回にわたり契約交渉を行い、この日の夜にも代理人とクラブが話し合った。長引く交渉に、早川会長がクラブハウスを訪れ、練習中の小野に直談判する一幕も。同会長は「『来季もやってくれるよね?』と言ったらうなずいてくれた」と、来季残留に手応えを口にした。小野自身はこれまで「契約のことは僕の口からは言いづらい」としてきたが「時間が解決してくれる」と、残留に前向きな姿勢を見せて締めくくった。【栗田成芳】



 前湘南監督の反町康治氏(47)が29日、静岡市内でヘッドコーチの就任オファーを受けている清水と極秘会談を行った。

 早川会長らとの交渉は約2時間半に及び、熱意を伝えられたようだ。J2に昇格する松本山雅からも監督就任を要請されている反町氏は「まだ、なにも」と言葉少なだったが、近日中に結論を下すものと思われる。

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就任オファーなんて出していない、なんて話も聞きましたが…。





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記事から振り返る2011年(4月〜6月)

JUGEMテーマ:清水エスパルス

史上初のJ2同士の元日決戦となることが決まった天皇杯。

J2降格以前の現有戦力を元にしながらも、そこに+αを持ち込み、チームとしての成熟に成功したFC東京。

チームの大胆な若返りを図りつつも、わずか1年でしっかりと戦えるチームとなった京都サンガ。

どちらも、ラックで勝ち上がったのではなく、確かに強いチームだと、今日の試合を見ていて感じました。


さて、昨日の記事の続きにいきたいと思います。





震災の影響で生じた約40日のブランク。

その間にやるべきことは、慈善試合などのさまざまな活動を通して復興支援を支えることと、開幕戦の惨敗によって最下位スタートとなったチームの立て直しでした。

アウスタで行われた静岡ダービーは、互いの選手を互いに励まし合うという、前にも後にもないであろう特別なものとなりました。

その後のリーグ戦によるイザコザによって、あの時の"絆"に亀裂が生じてしまったことは、残念でなりません。

その直後には、チームは何とオランダ・アムステルダムへ。

まだ新体制で動き出して間もないチームは、自分たちが目指すべきサッカーをまざまざと見せつけられました。

このときの経験が、今季の戦いの中でどれだけ生かされたかといえば、それははっきりはわかりませんが、貴重な遠征であったことは間違いないと信じています。




スッキリしない試合が続いていた中での、アウスタでの大失態。

DF陣の軽率なミスをきっかけにチームが崩壊し、ホームでまさかの5失点。

ただ、その試合で終了間際に決めたタカの移籍後初ゴールが、次戦での勝利につながったように思います。

神戸戦の借りを返すような快勝を見せた大宮戦。

この試合から真夏の3連敗に至るまでの11試合で6勝4分1敗。

2011年シーズンで最も安定していたのは、この時期であったといえます。

苦しい試合もありましたが、全員が高い意識で試合に臨み、しぶとく勝ち点を積み上げていきました。





岡崎移籍問題に続いて、またもマスコミを騒がせることになってしまった、今季"2度目"の静岡ダービー。

きっかけは磐田サポーターとのアレコレでしたが、最終的には清水サポーターとフロントの関係の問題に。

サッカーという娯楽は、いろいろな人が互いに支え合うことで成り立っていることを忘れてはなりません。

たとえ因縁の相手であっても、そして身内であったならなおさら、互いを尊重しなくてはいけないと感じました。





今季の清水にとって、甲府戦は特別な試合でした。

リーグ戦とナビスコ杯を併せて計4試合が行われた"富士山ダービー"。

その初戦がこの試合でした。

清水の勝利を見に行ったのではなく、テルさんとイチの姿を見に行ったと言っても過言ではありませんでした。

結局、2人が同じユニフォームを着てプレーする姿を見るのは、今季限りとなってしまいました。




今季の清水エスパルスにおいて、フォーメーションに変化をつけるとすれば、特例を除いては、ボランチを1枚にするか2枚にするかという点のみでした。

特に、この時期までは、ボランチの枚数だけではなく、誰がそれを務めるのかも流動的でした。

岩下、大輔、枝村、真希、平岡…。

実に5人もの選手がこのポジションに入り、時には手応えを感じ、時には行き詰まりを感じました。

どちらにしても、この5選手のいずれにおいても、絶対の信頼を得るまでには至りませんでした。

その不安定さが、真夏の連敗へとつながっていったということは、必ずしも否定できるものではありませんでした。


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 清水エスパルスのトップチームコーチングスタッフ、北原次郎コーチが、契約満了に伴い今シーズン限りで退任することとなりましたのでお知らせいたします。

 北原 次郎(Jiro KITAHARA)

 ●出身地 : 北海道札幌市

 ●生年月日 : 1981年10月23日

 ●サッカー歴 : 札幌光星高校 − 筑波大

 ●指導歴   2004年〜1999年 筑波大学蹴球部コーチ兼 つくば市立手代木中学校コーチ
        2005年〜2006年 ジュビロ磐田先乗りスカウト兼 コーチ
        2007年〜2010年 ジュビロ磐田テクニカルコーチ
        2008年〜2009年 ジュビロ磐田テクニカルスタッフ
        2010年〜2008年 ジュビロ磐田強化担当
        2011年 清水エスパルストップチームコーチ

●資 格 : 日本サッカー協会公認B級ライセンス



 J1清水のDF太田宏介(24)が去就について、海外移籍か清水残留に絞ったことが28日、分かった。今季で清水との3年契約が満了する太田にはオランダ1部・トゥエンテとFC東京、浦和が獲得に動いていたが、この日までにFC東京と浦和に対して断りを入れた。

 太田は25日の解団式後、「しっかり考えてから答えを出したい」と話していた。国内なら清水残留を決意したが、海外でのプレー希望も持っている。トゥエンテのほか、ドイツ2部・ボーフムなども興味を示し、オファーを出す可能性があり、推移を見守っている。清水は太田の代理人に対して年内に方向性を出すことを要請しており、近日中に結論が出るものと思われる。



 来季J2に参入する町田ゼルビアは29日、新監督に清水、横浜、東京Vを指揮したオズワルド・アルディレス氏(59)が就任すると発表した。

 アルゼンチン出身のアルディレス氏は、選手時代には1978年のW杯アルゼンチン大会で、母国の優勝に貢献。監督としてJリーグでは、横浜で2000年に第1ステージを制し、東京Vでは05年1月の天皇杯全日本選手権で優勝した。

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記事から振り返る2011年(1月〜3月)

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本来なら、今頃は明日の大阪遠征に備えて早めに就寝するはずでしたが…。

準々決勝敗退により、何とも暇な年末年始となりそうです。

…まあ、年賀状もこれからだし、やることはたくさんあるんですが。


ということで、不本意ながら、おいらが書いた記事を通して2011年を振り返りたいと思います。



国立競技場で投稿したこの記事で始まった2011年。




悔しさを胸に、健太エスパルスは終焉を迎えました。

天皇杯のテーマソングを聴くと、あのときの光景が今でも頭に浮かんでしまいます。









新しいシーズンを迎える前に、大きな衝撃となったのが、岡崎の移籍問題。

移籍自体はおおよそ覚悟できていましたが、思いのほかクラブ間でこじれてしまいました。

FIFAからは、シュツットガルトでの出場は認めるという通達があったことは記憶していますが…その後はもう何もないのでしょうか。

どちらにしても、清水サポーターの想いは、PSMでの岡崎への最後のチャントに込められていたと思っています。


新チーム始動』(2011/1/24)


アジアカップを戦い終えたばかりの新指揮官は、何と現地から直接の来日となりました。

一切の休息をとらずに、すぐさま駆けつけてくれた、ただそれだけでゴトビ監督への期待感は高まりました。

主力のほとんどが抜けた清水の初練習について、元紀は「清水エスパルスではないみたい」とコメントしました。

それでも、今となっては、今のメンバーが清水エスパルスである、そう言えるようになりました。

全てはここから始まったということを考えれば、実に価値のあるシーズンだったと思えます。



柏の選手の誰かが、今季でキーとなった試合として、この清水との開幕戦を挙げていました。

清水にとっても、この試合はいろいろな意味で大きなポイントとなった試合だったと言えます。

狭くて、寒くて、きつかった…それしか思い出せない、そんな柏戦でした。


鹿島戦中止』(2011/3/11)

この日、日本中の人々の、生活も、財産も、価値観も、大切なものも、全てひっくり返されました。

まだまだ課題は山積みです。

それでも、リーグ戦34試合を戦い抜くことができたことに幸せを感じます。

こうやって、サッカーを楽しむことができる日常が、決して当たり前のことではないということを、噛みしめなくてはいけません。


当たり前の幸せ』(2011/3/12)







あの頃のことを振り返ると、薄れかけていたいろいろなことを思い出すことができました。

あの時、日本人が何を見て、何を感じて、何をしたのか、これからもずっと忘れてはいけないと思います。


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 J1清水のDFエディ・ボスナー(31)が韓国Kリーグの水原など複数の海外クラブからオファーを受けていることが27日、分かった。

 クラブ関係者によると、水原のほかUAEやカタールのクラブから獲得の申し出があった。清水との契約を1年残し、残留の意向を示していたボスナーだが、オーストラリア代表選出に向け強豪クラブでプレーしたい考えもあり、移籍する可能性も十分あるという。

 ボスナーは2010年に千葉から移籍加入。左足からの強烈な直接FKを武器に、リーグ戦54試合で8得点した。

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海人はなぜ7番目のキッカーとなったのか

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天皇杯敗退から3日が経過し、その現実をようやく受け入れることができたように思います。

チームは敗戦の翌日に解団式を行い、アレックスとフレディはそれにも参加せずに帰国したとのこと。

移籍の噂もいろいろと出てきており、もうすっかりオフシーズンモードに突入してしまいました。


C大阪には内容で完敗だったので、PK戦で負けたことについては割り切ることができています。

でも、まだスッキリしていない点が一つ。


「何人かのケガの選手がPKを蹴りたくなかったのだと思います。だれも蹴りたいと思っていなかったので海人が蹴りました。」(J'sGOAL)

「何人かのフィールドプレーヤーは、PKを蹴りたくなかったのだと思う。だから海人が志願して蹴ったんだろう。」(清水公式HP)

「これが来季の最大のテーマ。(表情などから)何人かのフィールドの選手がPKを蹴りたくなかった。チームに対する責任を持ってほしい。」(Sponchi Annex)

「何人かのフィールドプレーヤーが蹴りたいと思っていなかったからね。われわれのチームはもっと精神的に強くならないといけない。」(SANSPO.COM)


同じ監督から発せられた言葉が、違う言語を介し、さらに複数のメディアを介することで、実に様々な表現で伝えられています。


ゴトビ監督が直接蹴りたいかどうかの意思確認をした訳ではないでしょう。

蹴りたくなかったのか、蹴れる状態になかったのか、微妙なところでしょう。

スポニチの記事を信頼するとすれば、もともと海人の順番は8番目だったとのこと。

それが、タカの負傷により7番目に繰り上がったとされています。

だとしたら、順番を決めたのはどのタイミングなのか…疑問が残ります。

ゴトビ監督が、3人の選手に対して、"蹴りたくないと考えている"と判断したとするならば、それはどのタイミングだったのか…。


いろいろな記事を読み比べると、そもそも順番を決めたのは誰なのかということさえ、全く見えてきません。

最も信頼を置くべき公式サイトを読めば、順番は選手たちが決めたように受け取れるし、スポーツ紙を読めば、残っていた4人の選手を海人の後に回したのはゴトビ監督だったように受け取れます。


海人が7番目に蹴ったから負けたのではありません。

PKというものは、どうなるかは全くわからないもの。

たまたま海人のキックで決着が着いたというだけです。


ゴールネットを揺らした選手も、弾かれた選手も、出番の回って来なかった選手も、平等に讃えて、今季最終戦を締め括りたかったです。

宏介と平岡と枝村が、ゴトビ監督の言葉をどのように受け止めているのか、非常に気になるし、心配です。

そして、PK戦で負けたことよりも、シーズンの最後にそういったコメントが出たことが残念です。


情報が十分ではないので、ゴトビ監督の言い方に問題があるのか、選手のメンタルに問題があるのか、メディアの受け取り方に問題があるのか、判断はできません。

どれにしたって、ただただ、残念に思うばかりです。


==========


 清水が10年連続の無冠に終わった。準々決勝でC大阪と対戦、途中出場のMF小野伸二主将(32)、FW高木俊幸(20)のゴールで2度のビハインドを追いつき、延長戦にもつれ込んだが、PK戦で5―6と敗れた。清水は全日程を終了、25日に解団式を行い、来年1月16日の始動に備えてオフに突入する。

 ともに1人ずつ外して迎えたPK戦の7人目。後攻・清水のキッカーはGK山本海人(26)だった。右足で蹴ったボールが左ポストを叩いて跳ね返ると、守護神は倒れこんだまま、しばらく立ち上がれなかった。

 「PKは練習でも決めていたし、監督に冗談で1番手で蹴らせると言われた」と山本海。ただ「7人目とは思わなかった」。延長後半終了間際にFW高原直泰(32)が相手GKと接触し、頭部を負傷したことで繰り上がったが、それでも山本海は8人目の予定だった。

 アフシン・ゴトビ監督(47)は「これが来季の最大のテーマ。(表情などから)何人かのフィールドの選手がPKを蹴りたくなかった。チームに対する責任を持ってほしい」と言った。ただPKの順番を決めるのは最終的には指揮官の責任。相手PKを阻止することに全神経を集中し、しかも日頃PKを蹴る練習はあまりしないGKが蹴る順番としては7、8番目は異例だ。

 敗れはしたが、この日の清水は粘りを見せた。5カ月前の7月23日、同じ相手、同じ会場でのリーグ戦は0―4。先発したMFフレドリック・ユングベリ(34)が左大腿裏を負傷し、開始から19分で交代した。代わって左膝じん帯損傷から復帰したばかりで本調子ではない小野を投入し、チャンスを演出。23分には高原が相手ハンドを誘って獲得したPKを決めた。

 「試合をやりたくてウズウズしていた。守備面で迷惑をかけたが、その分攻撃でいい形を出そうと思った」と小野。そして「ケガをしっかり治し、来年は元気な姿を見せたい」と言った。清水との契約更改交渉は難航しているが、小野が中心になってつくってきた新生・清水だけに、来季も欠かせない存在だ。「ジェットコースターに乗っているようだったが、基盤はできた」とゴトビ監督は今季の財産を来季に生かす。

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海人のブログからは、悔しさがにじみ出ています。

ありがとう。』(山本海人公式ブログ)

一方、毎回試合の後に更新してくれていた宏介のブログが、今回は未だ更新なし。

これが何も意味しないものであってほしいのですが。





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