苦いアジアデビュー

JUGEMテーマ:清水エスパルス

 

森保体制で挑む初の国際大会の初戦は、3-2で冷や汗の勝利となりました。

 

トルクメニスタン相手に予想外の苦戦、ともいえますし、いやいやアジアの戦いはやはりこういうもの、ともいえます。

 

兎にも角にも、勝ち点3を獲得したことが何より良かったと思います。

 

アジア杯に限ったことではないと思いますが、グループステージの場合、楽々と勝ち上がるよりも苦戦を強いられた方が後々の成績が良くなる…と思っています。

 

2011年のアジア杯カタール大会がまさにそうであったし、2015年のオーストラリア大会では、グループステージはあっさりと勝ち抜けたものの、決勝トーナメント初戦で敗退してしまいました。

 

もちろん、勝ち上がるということが前提の話であり、苦戦の末に勝ち点をこぼしてしまっては元も子もないのですが…。

 

 

勝ち点3を獲得して良かったと思うのは、日本代表全体のことだけではなく、やはり航也のことがあったから。

 

堂安のゴールで3-1と引き離した直後にピッチに投入された航也。

 

残念ながら、20分以上のプレー時間がありながら、シュートチャンスすら作ることができませんでした。

 

何より、航也のボールロストが相手の2ゴール目につながってしまいました。

 

一度は持ち直した日本代表のリズムが、あの失点から再び失われてしまいました。

 

吉田の対応を指摘する意見も、PKを与えた権田の対応を指摘する意見も見受けられますが、そこだけではないだろうと思います。

 

航也は、きっとあのシーンのことをしばらくは、いやこれからずっと忘れられないでしょう。

 

 

ただ、航也一人を責めるものでもないと思っています。

 

攻撃に転じようとしたタイミングでのボールロスト。

 

日本代表側は完全に無防備になっていました。

 

航也がボールロストした瞬間、なぜ航也1人が相手選手3人に囲まれる状況になったのか。

 

この瞬間だけではありませんが、チーム全体として、攻守の切り替えは上手くできていなかったし、守備の緩さが散見されました。

 

特に、ボランチを始めとしたセンターラインは、今後、メンバーチェンジも含めて修正が必要だと思います。

 

 

航也の起用に関しては、残念ながらチームにとってプラスに働くことはありませんでした。

 

森保監督がどう評価するかはわかりませんが、次のオマーン戦でも序列は変わらないでしょう。

 

航也をフォローするとすれば、清水での役割と異なることが課題だと感じました。

 

清水では、基本的に2トップの一角。

 

主に両サイドハーフとの連係からチャンスを作り、完全にボールの受け手。

 

しかも、チーム戦術がショートカウンターが主体なので、今回のように相手が引いて守った時の攻撃はあまりありません。

 

また、今日の試合では、結構な位置まで下がってボールを受けるシーンもありました。

 

いわゆるトップ下として、ボールを左右にさばく役割も任されているように見えました。

 

清水でのパフォーマンスを評価されたとしても、同じプレーの機会は今の日本代表では限られています。

 

 

しかし、航也にとっては乗り越えなければならない壁。

 

それは、航也自身が一番よくわかっているはず。

 

松木氏は解説の中で「全部できる」と評価しました。

 

万能型、という意味だと思います。

 

確かにそうだと思います。

 

 

ここからは、航也の武器を磨き、アピールしていくことが大事だと思います。

 

今の日本代表は、大迫を生かす攻撃であり、堂安を生かす攻撃であり、南野を生かす攻撃であり…。

 

そこに、北川航也を生かす形を埋め込んでいくしかありません。

 

航也ならできると思います。

 

 

今では日本代表に欠かせない守備の要、吉田も、2011年のアジア杯が実質の代表デビューでした。

 

オウンゴールもあったし、警告2枚での退場もありました。

 

散々な経験をしながらも、それを糧に階段を昇ってきました。

 

航也には、下を向かずに次の試合に向けて気持ちを切り替えてほしいと思います。

 

 

次のオマーン戦は13日。

 

中3日の過密日程。

 

けがから復帰したばかりの大迫がやれることを自らの2ゴールで証明しましたので、航也のスタメンは厳しいかもしれませんが、出番はきっと回ってくるはず。

 

航也がいなければボーっと見ていたであろうアジア杯ですが、今回は久しぶりにワクワクしています。

 

 

アジアに挑む北川航也』(エスパルスキー 2018/12/12)

 

爪痕は残せたか 〜 北川航也、代表初先発』(エスパルスキー 2018/11/21)

 

北川航也、二度目の日本代表招集』(エスパルスキー 2018/11/07)

 

目指すところを目指せばいい 〜 北川航也』(エスパルスキー 2018/10/18)

 

日本代表、北川航也!!』(エスパルスキー 2018/10/08)

 


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村田和哉は誰にも止められない』(エスパルスキー 2019/01/07)《1149pv》

 

一歩ずつ 2019年の始まりに』(エスパルスキー 2019/01/01)《1437pv》

 

背番号の重み 〜 白崎凌兵の移籍』(エスパルスキー 2018/12/30)《1758pv》

 


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村田和哉は誰にも止められない

JUGEMテーマ:清水エスパルス

 

それは、2011年の天皇杯準々決勝でした。

 

相手はC大阪。

 

PK戦の末に敗れたこの試合で、相手C大阪の中にひときわ目を引いた選手がいました。

 

個人的には、完全な一目惚れでした。

 

 

天皇杯準々決勝 C大阪戦@長居 参戦後記 【J特】』(エスパルスキー 2011/12/25)

 

この試合で一番の注目を集めたのは、1ゴール1アシストの清武のようですが、個人的には若い村田和哉という選手が非常に目立っていたように感じました。

そのプレーは金色の髪色に負けることなく、左右両サイドにおいて清水に脅威を与えていました。

平岡も宏介も、一対一で対峙した場面ではほとんど何もできなかったように思います。

まだデビューしたばかりのようですが、香川、乾、清武に続き、恐ろしい選手がまた出てきたと感じさせられました。

 

 

その1年4か月後、彼は清水にやってきました。

 

まさかの出来事でした。

 

C大阪を退団し、海外挑戦を試みるも実らず。

 

そんな中、国内を含めて所属クラブを探していました。

 

「あの選手か」

 

すぐにあの準々決勝のことを思い出しました。

 

 

清水にやってきた理由が理由なだけに、またすぐに海外に行くのだろうと思いました。

 

「場つなぎ」的な加入だろうと。

 

しかし、気がつけば6年が過ぎていました。

 

今では、オレンジ色のユニフォームを着た村田和哉以外は想像ができません。

 

 

プロの世界は厳しいものです。

 

2018シーズンのリーグ戦での出場はわずかに7試合。

 

その全てが途中出場。

 

出場時間は161分間でした。

 

その161分間のために、ベンチで準備していた試合は24試合。

 

17試合は、ビブスを着たまま試合終了を見届けました。

 

ダービーで決めたゴールは、まさに記憶に残るゴールでしたが、あのゴールが清水での最後のゴールとなりました。

 

 

2018シーズンに限ったことではありませんでした。

 

清水に在籍した6年間で出場した113試合のうち、先発出場は16試合でした。

 

 

チームが苦しい時に、相手が苦しい時に、ピッチに入り、試合の流れを引き寄せる…。

 

そのスキルで村田の右に出る選手はいません。

 

Jリーグ全体を見回しても、思い当たりません。

 

特に、アイスタでのそれは別格でした。

 

スタジアム全体の空気を変えることのできる選手でした。

 

2014年、チームがJ1残留争いの崖っぷちにいた時、川崎F戦で決めた逆転ゴールは今でも忘れられません。

 

 

そんな村田の、柏への移籍が発表されました。

 

村田 和哉選手 柏レイソルへ完全移籍決定のお知らせ』(清水エスパルス公式 2019/01/07)

 

このたび、私、村田和哉は柏レイソルに移籍することになりました。

セレッソ大阪を退団し、行く当てもなかった自分に、もう一度輝く場所を与えてくれたエスパルスには感謝してもしきれません。

その時から自分はこのチームに恩返しすることだけを考え、行動してきました。

サッカー王国という歴史を大切にし、そんな清水エスパルスの選手であることに誇りを持ち、ピッチ以外でも自分がエスパルスにできる全てのことはやってきたつもりです。

気づけば6年、エスパルスで過ごした日々の中で残留争いやJ2降格などさまざまな経験をしましたが、自分の中で一番印象に残っているのはダービー戦でのゴールです。

皆さんと喜びあったこのゴールは一生忘れないでしょう。

日本平という素晴らしいスタジアムで、最幸のサポーターと1つになり、右サイドを駆け抜けたことは僕にとってかけがえのない思い出です。

どんな時も自分に期待し、熱い応援をしてくれたサポーターがいて僕は幸せでした。

正直エスパルスを離れることは考えていなかったし、エスパルス以外でプレーすることは想像していませんでした。

しかし、柏レイソルからチャンスを頂き、30歳という1つの節目を迎えたこともあり、新たなドラマを創りたいという気持ちが強くなりました。

チームを離れますが村田和哉の夢の続きを見守り、応援していただけると嬉しいです。

僕がエスパルスに注いできた情熱はきっと後輩たちが引き継いでくれることと思います。

6年間本当にありがとうございました。

人生最幸!!

 

 

予感はありました。

 

柏がオファーを出したことは報道で知っていたし、2018シーズンの出場実績を見れば、プロ選手であれば誰でも考えるでしょう。

 

 

村田の移籍は、清水にとって大きな損失だと思います。

 

ピッチだけではなく、あちこちのイベントや子どもたちのいる公園や運動場、清水の商店街などに足を運び、その様子をSNSでアップしてくれました。

 

昨年W杯期間中にも、地元を中心に精力的に活動していました。

 

12月には、子どもたちを対象に『村田和哉の夢の叶え方〜人生最幸〜』と題した講演会も開催しました。

 

「人生、常に前向きに」 J1清水、MF村田選手が講演』(静岡新聞SBS 2018/12/20)

 

この6年間で村田が果たした役割は、とてつもなく大きなものです。

 

 

しかし、やはり彼はプロサッカー選手。

 

ピッチ上で活躍する姿を見たいと思います。

 

あの長居スタジアムで一目惚れした選手だからこそ、個人的にも強く思います。

 

 

20130915_431629.jpg

 

20130915_431631.jpg

 

村田が清水にやってきた時、C大阪のサポーターから「村田くんをお願いします」というメッセージが送られました。

 

それに対して、清水のゴール裏も「大切にします」と返しました。

 

今になれば、なぜC大阪のサポーターからこんな愛あるメッセージが送られたのか、わかるような気がします。

 

 

超速ドリブルだけじゃない。

 

サッカー選手として、人間としての魅力にあふれています。

 

この6年間、誰よりも清水を大切にしてくれたのは、村田自身でした。

 

感謝しかありません。

 

 

村田 和哉選手 移籍加入のお知らせ』(柏レイソル公式 2019/01/07)

 

柏レイソルに関わる全ての皆様、はじめまして!村田和哉です。

歴史あるクラブの一員になれたことを嬉しく思います。

布部GMと話をさせていただき、クラブのビジョンや熱意に心を動かされ、レイソルでプレーしたいという気持ちが芽生えました。

また、ヘッドコーチの井原さんは同じ滋賀県出身で自分がプロサッカー選手を目指す一番のきっかけとなった選手でもあり、縁を感じています。

自分のミッションは、J1昇格と、皆さんとレイソルをさらに魅力あるチームへと創り上げることです。

レイソルのために全力を尽くしますのでどうぞよろしくお願い致します。

 

 

村田は、すでに新しい道を走り始めています。

 

前を向いて走る村田を止めることは誰もできません。

 

ピッチ上でも、ピッチ外でも。

 

きっと、柏の街でもたくさんの「最幸」の出会いが待っているのだと思います。

 

 

柏サポーターの皆さん。

 

村田和哉は「最幸」な男です。

 

どうか、よろしくお願いします。

 

 

一番アツい試合 〜 J1第29節 磐田戦@アイスタ 後記』(エスパルスキー 2018/10/07)

 

選手たちのオフ期間』(エスパルスキー 2018/06/22)

 

村田和哉が輝く時 〜 YLC第4節 甲府戦@アイスタ 後記』(エスパルスキー 2018/04/18)

 

もっている男 〜 J2第18節 横浜FC戦@アイスタ 参戦後記』(エスパルスキー 2016/6/12) 

 

最幸の男 〜 村田和哉』(エスパルスキー 2014/12/22)

 

彼がMVPである 〜 村田和哉』(エスパルスキー 2013/9/15)

 

天皇杯準々決勝 C大阪戦@長居 参戦後記 【J特】』(エスパルスキー 2011/12/25)

 


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一歩ずつ 2019年の始まりに』(エスパルスキー 2019/01/01)《1378pv》

 

背番号の重み 〜 白崎凌兵の移籍』(エスパルスキー 2018/12/30)《1712pv》

 

覚悟を胸に「自分の目標」へ 〜 中村慶太の加入』(エスパルスキー 2018/12/29)《1160pv》

 


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背番号の重み 〜 白崎凌兵の移籍

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白崎 凌兵選手 鹿島アントラーズへ完全移籍決定のお知らせ』(清水エスパルス公式 2018/12/29)

 

鹿島アントラーズに移籍することを決断しました。

高校卒業から清水でプレーをさせてもらい、日本平のあの最高の雰囲気でプレーできたことは本当に幸せでしたし、熱いファン・サポーターの方々の声援は、常に僕の力になっていました。

感謝の気持ちは伝えるのがすごく難しいですが、これからも一日一日を大切に努力していきたいと思います。

大変お世話になりました。

 

白崎選手が加入』(鹿島アントラーズ公式 2018/12/29)

 

鹿島アントラーズというクラブでプレーする機会をいただいたことに感謝しています。

自分の力を最大限に活かして一日でも早くチームに貢献したいと思います!

応援よろしくお願いします。

 

MF白崎が鹿島移籍 J1清水発表』(静岡新聞SBS 2018/12/30)

 

MF白崎の鹿島への完全移籍を発表「日本平でプレーできたことは本当に幸せ」』(スポーツ報知 2018/12/30)

 

清水の背番10、MF白崎が鹿島へ完全移籍「本当に幸せでした」』(スポニチ 2018/12/30)

 

清水が白崎の鹿島移籍を発表「声援は僕の力に」』(日刊スポーツ 2018/12/29)

 

清水・白崎凌兵が鹿島に完全移籍「早くチームに貢献したい」』(サンスポ 2018/12/29)

 

清水MF白崎凌兵が鹿島に完全移籍。「最高の雰囲気でプレーできて幸せでした」』(フットボールチャンネル 2018/12/29)

 

鹿島、清水の“10番”白崎凌兵を獲得「一日でも早くチームに貢献したい」』(サッカーキング 2018/12/29)

 

清水の10番MF白崎が鹿島へ!!「感謝の気持ちは伝えるのがすごく難しいですが…」』(ゲキサカ 2018/12/29)

 

 

少し前から噂は出ていましたので、特に驚くことはありませんでした。

 

「10番」の移籍に対し、周囲の評価も様々です。

 

「元紀に続いてまたか」

 

「ゼロ円移籍はあり得ない」

 

「よりによって鹿島か」

 

「ブーイングしかない」

 

「去る者は追わず」

 

「いや、白崎には感謝したい」

 

自分の気持ちは…というと、一番大きいのは最後の「感謝」でしょうか。

 

 

2012年、当時7クラブが競合したといわれていますが、その中で清水を選んでくれました。

 

その理由は「一番に声をかけてくれたから」。

 

その後も多くの実績を残している「一番に声をかける」というスカウト陣の戦法ですが、自分が覚えている最初の実績が白崎です。

 

(もっと前にもあったかもしれませんが…)

 

入団が内定してから間もなく、まだ高校3年生の彼が初々しい姿で三保に現れたのを今でも覚えています。

 

20110810_939719.jpg

※ 2018/08/10撮影

 

 

2017シーズンからは清水の「10番」を背負いましたが、入団当初に与えられた番号は23番でした。

 

清水背番発表、白崎背負う岡崎の「23」』(日刊スポーツ 2012/01/18)

 

「エスパルスの23番は意味が違う。期待されていることを感じながらやっていきたい」

 

クラブは「大事に育てたい」という理由から岡崎のつけていた23番を選んだとされています。

 

その23番は、今は航也が背負い、そして代表に選ばれるまでになりました。

 

少し皮肉な部分も感じますが、鹿島からオファーがあったということは、白崎も岡崎のように大きく成長した、ということでしょうか。

 

 

2012年入団の同期には、河井や八反田などもいたわけですが、入団当初に注目を集めていたのは、圧倒的に白崎でした。

 

入団内定から記者会見まで、彼は別格の扱いだったことを覚えています。

 

しかし、ゴトビ監督のもと、レギュラーに定着することはありませんでした。

 

2013シーズンの途中からは、当時J2の富山に期限付移籍となりました。

 

 

清水でポジションを掴んだのは、J2を戦った2016シーズンあたりからでしょうか。

 

アウェーC大阪戦での試合終了間際の決勝ゴールは今でも忘れられません。

 

前節で松本に敗れ、J1昇格の望みを失いかけていた中で迎えた試合でした。

 

あの試合の勝利から、最終節まで続く9連勝が始まりました。

 

あのゴールがなければ…。

 

この先は言うまでもありません。

 

 

遡れば、その1年前。

 

チームがJ2降格となったそのオフ。

 

他クラブからのオファーがあったことが明らかになりましたが、その中で清水との契約を更新してくれました。

 

サポーターとともに、J1昇格に向けて共に戦うことを選んでくれました。

 

あれから3年。

 

契約期間が終了するこのタイミングでオファーがあれば、考えるのは当然。

 

もちろんこれからも清水でプレーしてくれれば言うことはありませんが、今回の決断に対して唾をかけることはできません。

 

 

2012年の同期同年代としては、犬飼の名前が挙がります。

 

今回の移籍にあたって、おそらく犬飼とも言葉を交わしたはずです。

 

この2人が鹿島のユニフォームを着てアイスタでプレーすることを想像すると、複雑な気持ちになりますが、「この2人は清水が育てた」とでも思っておけばいいでしょう。

 

そして、その時には、目の前にいる清水の選手たちを全力でサポートするだけです。

 

 

今回、「清水の10番」が移籍することについて、特別な感情はありません。

 

それは、元紀の時も同じでした。

 

背番号の重みというものは、その選手がチームを去る時に決まるのものだと思っています。

 

岡崎がつけていた「23番」は、岡崎が自身の力で積み上げてきた実績によって「重み」をもっています。

 

その「重み」を受け継いだのは、結果的には白崎ではなく、航也でした。

 

航也は航也で、今、「北川航也」として「23番」の「重み」を積み上げています。

 

そして、いつかは違う誰かが、その「重み」を感じながら次の「23番」を背負うことになるでしょう。

 

しかし、それはあくまで、岡崎や航也の生み出した「重み」。

 

その「重み」をさらに積み上げることができるかどうかは、その選手次第です。

 

積み上げることができなければ、「23番」は岡崎の番号であり、航也の番号のままです。

 

 

白崎がこのタイミングで「清水の10番」を降りるというのなら、それはそれでいいと思います。

 

何番だろうが、背番号は選手を縛るものではありません。

 

白崎が鹿島で何番をつけるかはわかりませんが、そこで「鹿島の〇〇番は白崎」と認識されるような活躍をすれば、そこに「重み」が生まれるでしょう。

 

犬飼とともにしっかりとレギュラーを掴み、アイスタに帰ってきてほしいと思います。

 

 

「清水の10番は〇〇」と他クラブからも認識される次のヒーローを待ちたいと思います。

 

 

走る白崎凌兵』(エスパルスキー 2018/09/10)

 

白崎凌兵の復帰』(エスパルスキー 2018/04/02)

 

自分らしさ 〜 白崎凌兵』(エスパルスキー 2013/8/9)

 

2012年組と共に』(エスパルスキー 2012/7/9)

 

白崎凌兵vs.FC東京』(エスパルスキー 2012/4/25)

 

背番号にかける想い』(エスパルスキー 2012/1/18)

 

白崎凌兵、加入内定記者会見』(エスパルスキー 2011/8/30)

 

三保の風景(8/10)〜白崎凌兵を見てきた』(エスパルスキー 2011/8/11)

 


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覚悟を胸に「自分の目標」へ 〜 中村慶太の加入』(エスパルスキー 2018/12/29)《858pv》

 

ここがスタート 〜 柏瀬暁の引退』(エスパルスキー 2018/12/25)《1299pv》

 

アジアに挑む北川航也』(エスパルスキー 2018/12/12)《1580pv》

 


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ここがスタート 〜 柏瀬暁の引退

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【トップ】柏瀬 暁 選手 引退のお知らせ』(ブリオベッカ浦安公式 2018/12/25)

 

この度現役を引退する事に決めました!
いきなりの報告になってしまい申し訳ありません。

船橋法典FC、フッチSC、清水エスパルス、New York Cosmos、Turu Düsseldorf 、VONDS市原、ブリオベッカ浦安、そしていままで僕に関わってくれた全ての皆様にありがとうと言いたいです。
ここまでサッカーを続けてこれたのも本当に皆様の支えがあってこその事でした。
本当にありがとうございました!!
本当は一人一人に直接報告したかったのですが、この場での報告になってしまった方申し訳ありません。

現役引退を決断するのは本当に簡単ではありませんでした。怖さも凄くありました。
ですが第2の人生に非常にワクワクしている自分もいました。
正直いまはまだこの決断が正解だったのかはわかりません。
社会人としてもっともっと一人前に成長していける様にこれからも自分らしく頑張っていきます!!

最後になりますが、本当に幸せな現役生活でした!ありがとうございました!!

 

昨シーズンにJFLから降格し、今季は関東1部に所属していたブリオベッカ浦安。

 

その浦安で今季からプレーしていた柏瀬が、クラブを通じて引退を発表しました。

 

本人のTwitterアカウントにもメッセージが投稿され、ユースからトップまで過ごした静岡への想いを語ってくれています。

 

柏瀬.png

 

 

改めて、彼の成績を振り返ってみました。

 

ああ、そうか、清水ではリーグ戦でのゴールを挙げていなかったんだな、と思いました。

 

彼がユースからトップに昇格した時、まさかこういう成績で清水を去り、そして引退を迎えるとは思ってもいませんでした。

 

 

ユース時代は一番の存在感をもっていました。

 

犬飼と同期ですが、当時から年代別代表に選出されていた柏瀬のトップ昇格は既定路線でした。

 

当時、プリンスリーグ東海1部で優勝を飾り、以降は現在までプレミアリーグに在籍を続けています。

 

一つ下の世代には、石毛や加賀美がいました。

 

彼らの活躍がなければ、今の航也も立田もいなかったかもしれません。

 

 

柏瀬がトップに昇格したのは2012シーズン。

 

それまで年代別代表に選ばれ続け、リオ五輪出場を狙っていた柏瀬でしたが、トップチームで出場機会を得られない中、代表招集からも遠ざかっていきました。

 

 

柏瀬が唯一清水で公式戦に出場したのは、1年目2012年のの天皇杯でした。

 

2回戦、アルテリーヴォ和歌山戦。

 

3-0でリードしていた後半、柏瀬がPKを獲得しましたが、ゴトビ監督の指示によりキッカーは白崎。

 

「プロ初ゴールは流れの中で掴め」というメッセージだったのかもしれません。

 

柏瀬はその後に流れの中からしっかりとゴールを決めました。

 

しかし、柏瀬が清水の選手として公式戦に出場したのはこれが最初で最後となりました。

 

 

北米へ武者修行に行った時には、逞しくなって清水に戻ってくる姿を想像しました。

 

ニューヨーク・コスモスが日本語版のアカウントを立ち上げていたので、しばしば柏瀬の情報を確認していたのを思い出します。

 

 

彼が戻ってきた2014シーズン。

 

チームは深刻な状態でした。

 

結果よりも若手の育成に重きを置く余裕はありませんでした。

 

当時実施されていたJ3のJ-22選抜に毎週のように招集されるシーズンでした。

 

 

今季の浦安での成績を確認しました。

 

関東1部リーグでは、シーズン通して2得点。

 

KSL 1部 前期 第8節 vs ジョイフル本田つくばFC (Away)』(ブリオベッカ浦安公式 2018/06/30)

 

KSL 1部 後期 第1節 vs さいたまSC (Away)』(ブリオベッカ浦安公式 2018/07/15)

 

サブに回ることもあったようです。

 

今季の成績が、彼に引退を決心させたのかもしれません。

 

 

どんなに期待されてプロの世界に飛び込んでも、その通りに成績を残し続ける選手はごくわずかです。

 

それでも、どの選手も、自分のやれる限りの力を出し切って、必死にサッカーと向き合っているのだろうと思います。

 

誰よりも、自分との戦いだろうと思います。

 

柏瀬のコメントからは、悔しさとともに、これからの人生への期待を感じ取ることができます。

 

悔しさはあっても、後悔はないのだろうと思います。

 

二度の海外挑戦、そして、カテゴリーを下げてでも、好きなサッカーでチャレンジし続けました。

 

彼のサッカー人生からパワーをもらったサポーターは多かったと思います。

 

 

ネット上では、柏瀬の引退に対して清水サポーターから多くの反応がありました。

 

出場記録は天皇杯1試合だけであっても、あの時期にオレンジのユニフォームを着て戦った選手であることに変わりはありません。

 

 

「社会人としてもっともっと一人前に成長していけるように」

 

今後の彼の進む道はわかりませんが、これからも応援していきたいと思います。

 

ゴールを決めたあの試合の記事に付けたタイトル。

 

まさに、「ここがスタート」。

 

 

新成人となる清水戦士たちの2014シーズンは』(エスパルスキー 2014/1/12)

 

柏瀬暁、海外武者修行へ』(エスパルスキー 2013/6/15)

 

ここがスタート 〜 天皇杯2回戦 和歌山戦@アウスタ 後記』(エスパルスキー 2012/9/9)

 

柏瀬くんと犬飼くんと白崎くんと』(エスパルスキー 2011/11/6)

 


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アジアに挑む北川航也』(エスパルスキー 2018/12/12)《1528pv》

 

「エダ ロス」から一年 〜 枝村匠馬の「退団」』(エスパルスキー 2018/12/11)《1445pv》

 

別れの季節 〜 角田誠の退団』(エスパルスキー 2018/12/10)《1227pv》

 


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「エダ ロス」から一年 〜 枝村匠馬の「退団」

JUGEMテーマ:清水エスパルス

 

枝村 匠馬選手 契約満了のお知らせ』(清水エスパルス公式 2018/12/11)

 

エスパルスには、ジュニアユース時代からお世話になりました。

楽しいことや苦しかったことなどありましたが、色々な経験ができたことに感謝しています。

サポーターの皆さまには、良いときも、悪いときも、いつも応援していただき感謝しています。

これからもエスパルスを応援しています。ありがとうございました。

 

枝村 匠馬 選手 期限付き移籍期間 満了のお知らせ』(アビスパ福岡公式 2018/12/11)

 

福岡での1年間は楽しいものでした。昇格できず残念です。
それでも福岡に来ることができて良かったです。
クラブ、スポンサー様、サポーターの皆様、アビスパに関わる多くの皆様に温かく接してもらえたことに感謝しています。 福岡が来年昇格できることを応援しています。
ありがとうございました。

 

 

今年1月9日、福岡への期限付移籍が発表されました。

 

自分の中では、あの時にエダはチームを去っています。

 

「退団」ではなかったけれど、もう選手として帰ってくることはないような、そんな気がしていたのを覚えています。

 

そして、エダに対する気持ちは、その時に整理をしました。

 

エダ ロス』(エスパルスキー 2018/01/11)

 

 

だから、ここではこれまでのエダには触れるつもりはありません。

 

 

「期限付移籍」という名の細い糸でつながっていた2018シーズン。

 

でも、再びその糸を辿って清水に戻ってくることはありませんでした。

 

今のチーム状況、エダの状況を考えれば、受け入れるしかないだろうと思います。

 

それは、エダ自身がよくわかっていたのではと思います。

 

当時、契約上の事情から期限付移籍となりましたが、あれは事実上の「退団」であったと思います。

 

およそ一年前のコメントからは、その覚悟が感じられます。

 

このたび、アビスパ福岡に移籍することになりました。

エスパルスでの時間は楽しいことばかりだったと思います。

近年は、J1でなかなか勝てなくて辛い日が続きましたが、これから良い成績を挙げられるように願っています。

福岡に行っても楽しくサッカーができればいいなと思っていますし、J1昇格目指してがんばります。

サポーターの皆さま、スポンサーの皆さま、クラブに関わる皆さまには、常に味方になっていただいたと感謝しています。

結果がついてこなかったことが心残りですが、たくさんの後押しが自分を支えてくれました。

ありがとうございました。

 

 

今季、福岡では26試合に出場し、そのうち先発出場は18試合でした。

 

シーズン序盤は出遅れましたが、徐々に出場機会を掴みました。

 

それでも、先発出場と途中出場、ベンチ入りのみ、この三つをグルグルと繰り返し、ポジションも含めて定位置を掴むには至りませんでした。

 

チームも最終節で昇格プレーオフ出場権を逃しました。

 

全てがうまくいけば、来季は対戦ができる可能性もあったので残念です。

 

 

今回の「退団」を、2010年オフの大量退団と重ねたり、クラブに対する不信感を抱いたりしているのを見かけました。

 

それは違うかなあと思います。

 

あの頃とは、クラブフロントも大きく変わったし、「退団」の経緯も違います。

 

エダを含めた今回の退団は、クラブが前へ進むためのものであると信じることができます。

 

エダにとっても、プロの選手として次のステージへ進むために避けることができない選択であったと思います。

 

 

このブログでは、今は選手の呼び名を1stネームか2ndネームで呼んでいますが、ブログ開設当初の名残りで、「エダ」の呼び名が残っていました。

 

清水在籍選手としては、おそらく最後の一人になると思います。

 

そう考えると、やはりさみしくなります。

 

2005年から、期限付移籍を挟みながらも清水の選手としてこれまで戦ってくれました。

 

 

エダを必要とするチームは必ずあるでしょう。

 

再び戦えることを楽しみにしています。

 

できれば、J1の舞台で。

 

 

エダ ロス』(エスパルスキー 2018/01/11)

 

リリースされないレンタル復帰』(エスパルスキー 2015/1/16)

 

レンタル組に示された道は』(エスパルスキー 2014/12/19)

 

涙の別れ 〜 枝村匠馬』(エスパルスキー 2012/7/19)

 

6・7・8』(エスパルスキー 2011/10/18)

 

枝村と小野と真希と』(エスパルスキー 2011/4/10)

 

ORANGE-TV+ 枝村&真希インタビュー』(エスパルスキー 2011/3/1)

 

紙一重』(エスパルスキー 2010/9/26)

 


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