3.11 金子翔太の想い

JUGEMテーマ:清水エスパルス

 

「明日3月11日で、僕にとって気持ちも入っていましたし、明日の新聞とかニュースとかで朗報を届けられるように試合に臨んだんで、1ゴールとアシストを含めて、勝つことができて本当によかったです」

 

札幌戦後の金子のインタビューが、BS中継を通して全国に流れました。

 

東北・福島の方も、彼の想いを感じたのではないかと思います。

 

 

今季の試合スケジュールが決まってすぐに、3月11日の前日の試合をチェックしたといいます。

 

この日に懸ける想いは誰よりも強かったのだろうと思います。

 

 

震災から7年。

 

その日、金子は福島のJヴィレッジの寮にいました。

 

中学の卒業式の日だったと聞きます。

 

その日の様子は、金子がJ1通算2万ゴールを決めた昨年にJリーグ公式サイトで特集された記事の中で触れられています。

 

J1通算20,000ゴールを決めた「金子翔太」って、どんな人?(前編)』(Jリーグ公式)

 

J1通算20,000ゴールを決めた「金子翔太」って、どんな人?(後編)』(Jリーグ公式)

 

また、「Sの極み」でも、2015年のインタビュー記事が会員以外にも公開されています。

 

エスパルス観察記 2015-03-11 練習』(Sの極み 2015/03/11)

 

 

このインタビュー記事の中でも、

 

「僕が震災にあったということはエスパルスのサポーター以外は知らないと思うんで、例えばゴールを決めてインタビューされた時にそういうメッセージも言えればなと思います」

 

と語っています。

 

当時はまだ控えに回ることが多く、この年のシーズン途中には栃木へ期限付き移籍もしています。

 

しかし、あの時の想いは今でもまったく変わっていません。

 

 

清水金子「11日のニュースになる」被災地へ元気を』(日刊スポーツ 2018/03/10)

 

【清水】MF金子翔太、札幌戦勝利で福島に明るい話題届ける…JFAアカデミー福島出身』(スポーツ報知 2018/03/10)

 

試合前日の新聞記事です。

 

この記事の通りに、札幌戦では1ゴール1アシスト。

 

有言実行とはまさにこのことです。

 

昨季の2万ゴールといい、2016年最終節のJ1昇格を決めたゴールなど、「ここぞ」で必ず決める力は突出したものがあります。

 

 

被災地思い、金子が躍動 J1リーグ第3節・清水』(静岡新聞SBS 2018/03/11)

 

被災地へ思い届けるゴール!清水・金子「ニュースになって朗報届けたかった」』(サンスポ 2018/03/11)

 

【清水】JFAアカデミー福島出身MF金子、3・11前日に“有言実行”古巣へエール弾』(スポーツ報知 2018/03/11)

 

 

Jリーグの特集記事でも触れられていますが、金子が清水に加入したのは、被災によってJFAアカデミーの拠点が静岡に移ったことに関連しています。

 

聞くところによれば、清水のスカウトが別の選手の視察に来ていたところ、たまたま金子に目が留まったのだとか。

 

高校3年生の頃にはプレミアイーストで得点王も獲得し、複数のクラブが注目する存在となっていましたが、早くから声をかけていた清水に加入することとなりました。

 

被災によって失われたものが大きすぎるため、これを素直に喜ぶことはできませんが、あの日で金子の人生が大きく変わったことは間違いありません。

 

 

ちょうど一年前、宇都宮徹壱氏のコラムがネット上に掲載されました。

 

忘れられた女子クラブとJヴィレッジの再開 東日本大震災から6年、元マリーゼGMの回想』(スポーツナビ 2017/03/11)

 

その後、業務再開に向けた作業が順調にすすんだようで、今年の7月についにその一部業務が再開されるようです。

 

Jヴィレッジ、復興シンボルへ 7月28日、一部業務再開 全国初の全天候型練習場も』(産経ニュース 2018/03/11)

 

Jヴィレッジ、施設整備進む 7月に一部再開』(日本経済新聞 2018/03/06)

 

金子も楽しみにしていることだろうと思います。

 

Jヴィレッジ復興プロジェクトのサイトには、金子の動画メッセージが掲載されていました。

 

 

新たな施設では、スタジアムを建設し、Jリーグ公式戦の開催も考えているとのこと。

 

もしかしたら、金子がそのピッチに立つことになるかもしれません。

 

 

以前も書きましたが、2015年2月にJヴィレッジ周辺ほか、福島県沿岸を訪れました。

 

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その時に撮影した写真です。

 

当時、Jヴィレッジはたくさんの重機車両が停まっていて、テントもたくさん張ってありました。

 

事実上の消滅となった東京電力マリーゼの看板が、草木の中に埋もれたまま残されていました。

 

 

復興は少しずつすすんでいると聞きます。

 

しかし、復興が「終わる」日はないのだろうと思います。

 

あの日をなくすことはできないわけで、そのうえで、今を一生懸命に生きている方がたくさんいるのだと思います。

 

 

ありきたりの言葉になってしまうのですが、あの日のことを忘れずに、毎日を大切に生きていきたいと思います。

 

 

鹿島戦中止』(エスパルスキー 2011/3/11)

当たり前の幸せ』(エスパルスキー 2011/3/12)

スポーツが復興の力となれ』(エスパルスキー 2011/3/14)

いつか必ずやってくるその日を 【J特】』(エスパルスキー 2011/3/22)

がんばろうニッポン! 【J特】』(エスパルスキー 2011/3/23)

チカラをひとつに。 【J特】』(エスパルスキー 2011/3/24)

被災地へ届け、この想い 【J特】』(エスパルスキー 2011/3/28)

素晴らしきサッカーのチカラ 【J特】』(エスパルスキー 2011/3/29)

清水エスパルス、オランダへ 【J特】』(エスパルスキー 2011/4/1)

きっとサクラサク、ガンバロウ 【J特】』(エスパルスキー 2011/4/4)

慈善試合 磐田戦@アウスタ 参戦後記 【J特】』(エスパルスキー 2011/4/9)

慈善試合 アヤックス戦@アムステルダム 【J特】』(エスパルスキー 2011/4/14)

山田町と清水エスパルス』(エスパルスキー 2011/7/19)

特別な一日』(エスパルスキー 2012/3/11)

"ひとつ"になるということ』(エスパルスキー 2013/3/11)

忘れてはいけない』(エスパルスキー 2015/3/11)

 

自分を見つめ直す』(エスパルスキー 2016/3/11)

 

 

最後まで走り抜く 〜 J1第3節 札幌戦@札幌ド 後記』(エスパルスキー 2018/03/10)《1295pv》

 

オール清水 〜 YLC第1節 磐田戦@アイスタ 後記』(エスパルスキー 2018/03/08)《1081pv》

 

カップ戦で輝け、そしてダービー勝利を』(エスパルスキー 2018/03/06)《926pv》

 

 

【J1第3節終了】
 

3位 勝ち点7
2勝1分0敗 7得点 3失点 得失点差+4

 

09 広島(+3)

 

07 川崎F(+5)、清水(+4)、仙台(+2)、名古屋(+2)

 

05 鳥栖(+1)、湘南(+1)

04 柏(+1)、鹿島(0)

03 C大阪(0)、磐田(-2)

02 長崎(-1)、浦和(-1)、神戸(-2)、

01 札幌(-3)、横浜FM(-3)、F東京(-3)、

00 G大阪(-4)

 

 

【累計ゴール数】

 

02 クリスラン

02 金子 翔太

01 河井 陽介

01 北川 航也

01 立田 悠悟

 

 

【けが人情報】※公式リリースのみ

 

鎌田 翔雅選手のケガについて』(清水エスパルス公式 2017/12/09)

 右膝前十字靭帯損傷:全治までは7ヶ月を要する見込み

 

水谷 拓磨選手のケガについて』(清水エスパルス公式 2018/02/02)

 左鎖骨骨折:全治までは2ヶ月を要する見込み

 

飯田 貴敬選手のケガについて』(清水エスパルス公式 2018/02/26)

 左膝蓋骨不全骨折:全治までは8週間を要する見込み



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関連:清水エスパルス、金子翔太、東日本大震災

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自分を見つめ直す

JUGEMテーマ:Jリーグ

2011年3月11日から5年が経ちました。

今年も、東日本大震災に関する自分の記事を全て読み返しました。


鹿島戦中止』(エスパルスキー 2011/3/11)

当たり前の幸せ』(エスパルスキー 2011/3/12)

スポーツが復興の力となれ』(エスパルスキー 2011/3/14)

いつか必ずやってくるその日を 【J特】』(エスパルスキー 2011/3/22)

がんばろうニッポン! 【J特】』(エスパルスキー 2011/3/23)

チカラをひとつに。 【J特】』(エスパルスキー 2011/3/24)

被災地へ届け、この想い 【J特】』(エスパルスキー 2011/3/28)

素晴らしきサッカーのチカラ 【J特】』(エスパルスキー 2011/3/29)

清水エスパルス、オランダへ 【J特】』(エスパルスキー 2011/4/1)

きっとサクラサク、ガンバロウ 【J特】』(エスパルスキー 2011/4/4)

慈善試合 磐田戦@アウスタ 参戦後記 【J特】』(エスパルスキー 2011/4/9)

慈善試合 アヤックス戦@アムステルダム 【J特】』(エスパルスキー 2011/4/14)

山田町と清水エスパルス』(エスパルスキー 2011/7/19)

特別な一日』(エスパルスキー 2012/3/11)

"ひとつ"になるということ』(エスパルスキー 2013/3/11)

忘れてはいけない』(エスパルスキー 2015/3/11)


今の自分の想いを記事にしようと思ったら、それは一年前の記事に全て書いてありました。

自分の中で、震災に対する意識が停止していたのだろうと反省しました。

この一年間を必死に生きた方々がいたでしょう。

今でも復興に向け、毎日力を注いでいる方々がいるでしょう。

自分はどうだろうか。

知らぬ間に、自分は震災を心の奥底に埋め込んでしまっていたのかもしれません。


「忘れてはいけない」という記事を一年前に書きました。

「忘れない」とはどういうことなのだろうかと、今になって思います。

自分にとってできることは、こうやってこの一年を振り返ることなのかもしれません。

そして、今の自分の生き方とか考え方を見つめ直すことなのだろうと。

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一年前には津波と放射線の被害に遭った福島県沿岸部に行きました。

そこで目にしたものは、想像を超えたものでした。

地震発生から4年が経過していた当時でさえ、そう感じたのだから、発生直後のことは想像すらできません。


あの、窓ガラスが割れたままの民家は、どうなったのだろうか。

国道6号線から海岸線までの広大な"更地"は、どうなっただろうか。


3月11日を迎えるたびに、自分の無力さを感じます。

自分にできることは何だろうか。

今の生活の中で、大したことは思い浮かびません。

ただ、こうやって"あの時"のことを振り返り、今の自分を見つめ直すことは、これからも続けようと思います。


忘れてはいけない』(エスパルスキー 2015/3/11)

"ひとつ"になるということ』(エスパルスキー 2013/3/11)

特別な一日』(エスパルスキー 2012/3/11)




ゴールを奪える河井陽介』(エスパルスキー 2016/3/8)

格の違い 〜 J2第2節 長崎戦@長崎県立 後記』(エスパルスキー 2016/3/6)

ベースライン 〜 J2第1節 愛媛戦@アイスタ 後記』(エスパルスキー 2016/3/1)


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忘れてはいけない

JUGEMテーマ:清水エスパルス

あの日から4年。

今年も、あの日にかかわる自分の記事を読み返しました。


鹿島戦中止』(2011/3/11)






特別な一日』(2012/3/11)



 読み返すことで、いろいろな記憶が蘇ってきました。

ということは、忘れていたことがあるということ。

忙しいことを言い訳に。

地理的に遠いことを言い訳に。

"当たり前"の生活が送れていることに甘えながら。


忘れてはいけないことがたくさんあります。

あの日。

2011年3月11日。

ホーム開幕戦、鹿島戦の前日だったということ。

すぐに、その試合の中止が決まったこと。

オフ期間でも、W杯開催期間でもないのに、1か月以上もリーグ戦が中断したこと。

すぐに選手会が動き、チャリティーマッチが開催されたこと。

その試合が、世界150か国以上で放映されたこと。

キングカズがゴールを決めたこと。

ジュビロ磐田との慈善試合が開催されたこと。

互いに称え合い、相手選手にエールを送ったこと。

東北の空に向かって、仙台、鹿島、水戸、栃木のコールを送ったこと。

「いざゆけニッポン」をひたすらに歌い続けたこと。

静岡が一つになったこと。

清水エスパルスが、オランダでチャリティーマッチとしてアヤックスと対戦したこと。

選手たちが、県内各地で募金活動を行ったこと。

リーグ戦再開の日、多くのサポーターが袖に喪章をつけて臨んだこと。

雨の中で、喪章を先端につけたフラッグが風雨になびいていたこと。

ゴトビ監督、小野、高原が、山田町へ足を運んだこと。

山田町の子どもたちを、ホームゲームに招待したこと。

そこで、高原が素晴らしいゴールを決めたこと。

清水にも、被災した選手がいるということ。


先月、被災地に行ってきました。

何かをするために、というわけではありませんでしたが、一度この目で見るべきものがあると思い、足を運びました。

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かつて金子も通っていた、福島J-VILLAGE。

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今は、復興のための施設となっており、かつての面影はありません。

草木が生い茂り、敷地内は工事用の車両が溢れていました。


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「がんばれマリーゼ」の看板。

かつてはここJ-VILLAGEで練習していた、東京電力マリーゼ。

ベガルタ仙台レディースが引き継いだものの、事実上の消滅となりました。

この、草木に覆われた看板が、数少ない存在の証となってしまっています。


国道6号線沿いには、30年後に桜並木となるよう、桜の木がメッセージを添えて植えられていました。

帰宅困難区域では、今も住宅や店舗が当時のままに放置されています。

窓ガラスが割れ、カーテンがなびいていた家屋もあったし、商品が散乱したままの店舗もありました。

交差点は全て封鎖され、国道以外の道に入ることはできなくなっています。

すれ違う車両のほとんどがダンプカーで、時折見かけるバスには、復興作業に携わっていると思われる方がたくさん乗っていました。

道の駅は休業し、地元警察の臨時詰所となり、たくさんのパトカーが停まっていました。

「津波到達区域」は、そのほとんどが更地で、何もないその先には海が見えました。

復興への道はまだまだ長いことを感じました。


Jリーグは、震災前と同じように、3月に開幕を迎えることができています。

この"当たり前"は、本当は"当たり前ではない"ということ。

それを心にしっかりと刻みたいと思います。


鹿島戦中止』(2011/3/11)






特別な一日』(2012/3/11)







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"あの日"から

JUGEMテーマ:清水エスパルス

このブログを始めて、およそ3年半になりました。

ブログ記事は、この記事で1056件目。

ブログを始めた当初には、数件の代表戦に関する記事もありましたが、それ以外はほぼ全てが清水エスパルスに関する記事です。


その中で、例外が二つあります。

一つは、このブログに関すること。

もう一つは、"あの日"に関すること。


鹿島戦中止』(2011/3/11)


職業柄、この時期は毎年同じような景色の中で過ごしています。

3年前のあの日のあの瞬間と同じ作業を、今日もしていました。

毎年、あの瞬間のことを思い出します。

14時46分。

自分のいた職場の建物が、ゆっくりと、大きく揺れました。

数分後にTVの画面を見るまでは、正直なところ、それほど大きなものだとは思いませんでした。

身の危険も感じなかったし、"ただの大きな地震"、という程度でした。


一番に頭をよぎったのは、翌日に控えていた鹿島戦がどうなるのか、ということ。

自分の感覚が、いかにズレていたかということを、今でも恥ずかしく思います。

そんなことを言っている場合ではなかったと理解したのは、自分の住んでいるところに避難勧告が出てからでした。


ありきたりの言葉しか出てきません。

自分は、震災の影響を直に受けたとは言い難いし、あの場所で起こったことをメディアを通してでしか知りません。

忙しさを理由に、現地に足を運んでもいません。


何も語るべきではない、とも思います。

でも、一方で、語らなくてはならない、とも思います。

どうしたらいいのか、判断のつかない自分に苛立ちも感じます。


あれから3年。

1年前、2年前に比べ、この「3.11」を取り巻く環境は確実に変化してきています。

それは、"復興"なのか。

それとも、"忘却"なのか。


Jリーグにおいては、あの時、全てが"停止"しました。

その中で行われた、復興チャリティーマッチ。


清水エスパルスとジュビロ磐田による慈善試合も。


東北の空に向かって歌ったあのチャントは、この先ずっと忘れないと思います。


小さな自分にできることなんて、何もないのかもしれません。

そもそも、今や何が正しいことなのかさえ、よくわからなくなっています。

世論は、原発の再稼働に向けて動き始めています。


"あの日"から変わったもの。

"あの日"から変わらなかったもの。

"あの日"から変えなかったもの。

"あの日"から変えられなかったもの。


この国は、"あの日"から何を学んだのか。

多くの犠牲に対価できるものなどありません。

それでも、もっと"学ぶべきもの"があったのではないか、と思う時があります。


「あの日を忘れない」ということだけは、少なくとも自分がやるべきことだと思っています。

震災に関する過去の記事を読み返すことで、今の自分を問い直すこと。

たかが一年に一度かもしれませんが、来年も続けていきたいと思います。


何のためにスポーツがあり、

何のためにサッカーがあり、

何のためにJリーグがあり、

何のためにクラブがあるのか。


己の欲望を満たすだけじゃない。

それを、あの震災から教えてもらいました。


だからこそ、

愛するクラブを大切にしたいです。

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一年後、今よりも前へ進んでいますように。




鹿島戦中止』(2011/3/11)





16,486人を超えたい』(2014/3/6)



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"ひとつ"になるということ

JUGEMテーマ:清水エスパルス

あの日、この日本で何が起こり、自分は何を考えたのか。

それを忘れないために、3月11日に関する自分の記事を全て読み返しました。


鹿島戦中止』(2011/3/11)






特別な一日』(2012/3/11)


読み返すたびに、自分の無力さを感じます。

どうしても、被災者の方々の立場には立てない。

どんな感情を抱こうとも、それは、やはりあの惨劇を生で見たものには敵わない。

今、何の不自由もなく暮らしている。

忘れてはいけない、と心に言い聞かせながらも、あの瞬間とは違った感覚をもつ自分がいます。

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あの震災を経て、日本は"ひとつ"にならなければなりませんでした。

それに値する、素晴らしい光景は、日本の各地で見られました。

世界から称賛もされました。

スポーツを通して、素晴らしい感動を得ることもできました。


清水エスパルスは、ライバルであるジュビロ磐田と、今後はないであろう"フレンドリーマッチ"を行いました。

ジュビロコールを送りました。

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東北の空に向かって、仙台コール、鹿島コール、水戸コール、栃木コールをしました。

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「いざゆけニッポン」を歌い続けました。

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"特別な時間"でした。

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あれから2年。

今でも多くの方が避難所で厳しい生活を送っています。

未だに"故郷"に戻ることが叶わない方々がいます。

行方がわからないままの方々がいます。

原発の可否でいがみ合いが起こっています。

がれきの処理でいざこざが起こっています。

外国との関係は悪化しています。


この国は、あの災害から何を学んだのか。

まだまだ、考えなきゃいけないことも、やらなきゃいけないこともあると思います。

イデオロギーはいろいろあるのかもしれないけど、ぶつかり合うことは悲しいことです。


この日常の幸せを噛みしめながら、これからも前を向いて生きていきます。


東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

未だに避難所で苦しい生活をされている方の笑顔が少しでも増えることを願っています。

この素晴らしき日本が、どんな価値観の人とも、どの国の人とも、建設的な話し合いを通して、平和的な道を歩んでいくことを信じています。








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